東京の植物へのこだわり
内野秀重
谷戸湿地に自生するハチオウジアザミ
武蔵野台地で生まれ育った私は、多摩丘陵の谷戸の複雑な自然に驚くと同時に、植物写真家である富成忠夫氏の革新的な写真図鑑に出会って植物を覚えるようになった。やがて、その興味はいつしか東京という器のどこに、どのような植物が生育しているのかという関心に収れんされるようになっていったが、今考えれば、その理由は「東京全体の植物相について記述された資料=植物誌」がなかったからなのではないかと思う。東京のそれぞれの地域や個人でまとめられた植物誌的資料を見つけ次第、片っ端から集めてきたのも同様の潜在的動機があったような気がする。そんな私が今、東京のデジタル版野生植物目録の公開に関わるのは当然か偶然なのかわからないが、いずれにしても身が引き締まる思いでいっぱいだ。
植物標本情報の公開に先駆け、標本庫に収められた東京都産の新旧の植物標本を多数チェックしてきたが、不思議と古い標本でもその植物の生育状況が頭に浮かんでくる。一例をあげれば、牧野富太郎が1934年に奥多摩町で採集したカヤツリスゲの標本が1点あるが、隔離分布するこの珍しいスゲが東京に存在したことが話題に上がったことはおそらく皆無だろう。採集年をもとに年表を調べてみると、奥多摩湖(小河内ダム)計画決定の2年後、着工の4年前である。富太郎はダム計画の情報を知り、湖底に沈む前の集落を訪れ、水辺でこのスゲを採集したに違いない(牧野標本館HP東京デジタル植物誌参照)。このように、いつの時代の希少種であれ普通種であれ、ストーリーが見えてくる植物標本は少なくない。それだけに、牧野富太郎をはじめ、東京産の植物を採集して標本を作製し、標本庫にまで収めてくれた植物愛好家、研究者の皆さんに改めて敬意を表したい、今日この頃である。
内野秀重 (都立大学牧野標本館特任研究員)
1959年東京都立川市生まれ。東京農業大学農学部卒。地方公務員から環境コンサルティングに転身、植物調査業務に従事後、八王子市長池公園の管理に携わり2013~2023年まで同園園長を務める。2024年より都立大学牧野標本館特任研究員。植物レッドリスト改定委員や緑地保全地域アドバイザーとして東京都の野生植物保全に関わる。立川市・八王子市・日野市文化財保護審議会委員・パルテノン多摩自然観察会講師。2012年に発表された新種ハチオウジアザミの発見者でもある。著書に『新八王子市史自然編』(八王子市)「理科を育てた挿絵画家 天木茂晴」(町田市立博物館)などがある。